アンジャッシュについて熱く語ってみた
アンジャッシュのコントって面白いよね。
好き嫌いはあると思うけど俺は結構好き。
アンジャッシュの笑いは演者と観客が見てる世界が絶妙にズレて発生してる。
現象自体は一緒なんだけど、演者から見えている世界と観客が見えている世界が違っていて、あくまでこちらだけが全体の仕組みを知っているところに笑いがある。
こっちが優位な立場にいることでお客さんが「私だけが真実を知っている」と認識し、
流れの中で問題が起きそうになるとついつい(何も知らないと装っている)演者に「違う!」って声をかけたくなる。
表現の技術に感心させられる。お笑い勉強する人はまず渡部さんの料理本買ってお笑い勉強した方がいい。
そんな話もどうでもよくてですね。
本題は文章力のリハビリについてです。
大学生になって抽象的な表現が少しづつ嫌いになってきました。
「強い」「少ない」「成功」「幸せ」
こういった言葉を聞くと、
「強いって絶対的な強さ、それとも相対的な強さ?そもそも強さってどの物差しで計ったものをいうの?」
「少ないって何g?何個?具体的にどれぐらい少ないの?」
「何をもってして成功?幸せってどんなゴールをイメージしてる?」
こんな感じに考えてしまいます。
こうやって文字で起こしてみると最悪ですね。即ブロック。
こういう抽象度を嫌って具体的な数字に落として物事の相関関係や因果関係を見ることは非常に大事なことですが、その反面
面白い文章が全然書けなくなった残念さもあります。
これ本当に。面白い文章書いてる途中に面白いって何かを具体化しようとするんです。
個人的には面白いってもっと言葉に表現できない一種の芸術的なメカニズムが多分に含まれていると思うんですよ。
言語化できない面白さってありません?
友達と話してて「いやwwwwwなんかwwwwあれおかしくない?wwwwww」みたいな。
アンジャッシュのような作り込まれたお笑いもありますが、あれは特例中の特例です。
大半は"よくわかんない"から面白いのです。
子供から大人になるってこういう板挟みに沢山あってしまうということなのかな。