週刊 出鱈目日記

基本的に答えのない禅問答みたいな感じで書いてます。

新年早々

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明けましておめでとう諸君。

 

私は人生で初めて風邪で寝込みながら新年を迎えてしまった。

 

Twitterで流れる過去を輝かせ、未来をより一層輝かせようとする言葉の数々に既視感を覚えながらも、辛い喉の痛みとの戦いに決別し、私の2019年の開始の笛は今鳴った。

 

私には12歳下の甥がいて、さっき病み上がりの私に、ヤクルト1本分ほどの大きさのサッカー選手のフィギュアを楽しそうに見せてきた。

 

そうやって色々と選手の特徴を一頻り話し終えた後に、一言、

 

「何かを集めたいなぁと思っていて、たまたま好きなサッカーの関連するものでこれが見つかって」

 

と言い、付け加えて「少し値が張るからそんなに買えないんだ」とつぶさな瞳でアイコンタクトを図り、瞳の奥のお年玉という文字をマジマジと私に見せてきていた。

(まだお年玉の話を議論に挙げていないから甥としても不安ではあるだろう)

 

 

なんだか何かを集めたり、コツコツと何かに励むことは簡単なことじゃないと24年間で分かってきた。

だからこそ、12歳下の甥が放つ、純粋な欲求からくる言葉が余計に感傷的で、塞ぎ込もうとしている自分に刺さることが多い。

 

今回もまた、甥の言葉に図らずもやる気スイッチを押されてしまったのかもしれない。

 

さーて、何をコツコツと始めようか。

お金を稼げること、だけを条件に少し考えて、ぼちぼちこのブログで経過観察をしていけたらいいなぁと思う。

答えのないゲームを楽しめるか

僕は昔からゲームが好きな部類の人間である。

小学生の時にちょうどPS2とラチェットアンドクランクがセットで売られていて、それを買ってひたすらやっていた記憶がある。

そこからコンシューマー向けのゲームは恐らくだいたいやったし、何故か家には他にゲームが好きな人間がいなかったのに、ゲーム&ウォッチも初代ゲームボーイスーパーファミコンPCエンジンコアグラフィックスセガサターンも、もちろんプレイステーションも存在していた。

 

家では1日1時間だけしかゲームができないという独自ルールがあったので、小学生の僕はできるだけ、調理に時間がかかりそうな夕食のオーダーや、「おまかせで!」という世の中のお母さんが忌み嫌うオーダーで、なんとか2時間以上家に帰ってこないように図っていた。

 

夕食を食べ終わると、1階に降りてPCエンジンコアグラフィックス桃鉄ボンバーマンやストファイを楽しみ、セガサターンソニックジャムやバーチャルファイター2などをプレイしていた。

ちなみに、ダントツで好きだったタイトルが、電脳戦機バーチャロン フォー セガネットです。今やっても多分全然楽しい。

 

ゲームのソフトがハードが変わっても、ソフトはそれほど変化しない。

PSのソフトもセガサターンの時に発売されていたソフトの内容をアップデートしたり、

仕様改善を行って発売されているので、タイトル一覧でみると変わっていないものもちらほら。

 

その後カードゲームにまんまとハマり、ゲームが生活に欠かせないような生活になっていたのだが、ゲームは、人間がルールを作り、そのルールの元、皆で遊ぶ競技である。

競技である以上、底には勝敗が必ず存在する。この特性はスポーツと似ている。

広義にはスポーツは身体の活動を伴うゲームであるとも言える。e-sportsの目覚ましい発展がそれを物語っている。

 

では、「人の一生」はどうだろう。

軽度のゲームオーバーは許されるが、崖から落ちても、コンテニューボタンは見つからない。異常なジャンプ力もないし、ガンダムに乗れたとしても、僕はアムロ・レイにはなれない。

そして何より、「ルール」が人生には存在しない。それは再現性がないことを意味する。解釈の余地が大きいのが人生であり、ゲームにはそれほど解釈の余地はない(最近が余白の多い、ユーザーに選択肢の多いゲームも増えてきたけど)。

 

そんな答えのないゲームを認識するのが、僕らは遅すぎた。

僕はそのことに憤りさえ覚えている。

 

なぜ、大人は誰も僕のゲームのルールを教えてくれなかったの?

それは恐らく彼らが人生というゲームをプレイしている感覚がなかったのか、ルールを自分たちで作り上げて、コンフォートゾーンに居座り続けようとしたからである。

 

ルールのないゲームはともすれば、ものすごいストレスだ。

僕にとってもソフトのジャンルではRPGが一番面白くて、一番疲れるジャンルだ。

人生はポーズ画面にすることもできないし、勝手にゲームオーバーがくる時限爆弾だ。

「僕」というゲームをどこかにセーブしておかないと、簡単に廃盤になるそれに加え、このゲームにはバグも沢山ある。

 

 

僕らは今ゲームをプレイしている。

僕のゲームを他人に邪魔させるな。一番おもしろい瞬間を誰かに横取りさせるな。

自分の人生を、その瞬間を死ぬほど熱中して楽しめ。そして、最高の作品として後世に語り継がれろ。

 

ここまでゲームに夢中にさせてくれたのが、母親の1日1時間のルールだったとおもうので、もしかしたら人生にも「ルール」はあった方がいいかも(あれ、、)

ふりふり症候群

 

 

大学生というのは時間の使い方がかなり個人に依存している職種だ。

 

 

 

めちゃくちゃ忙しくすることも暇にすることも自分のさじ加減。

 

 

 

 

忙しいのは嫌だね。余裕がない人みたいだ。

 

 

暇なのは嫌だね。何をして時間を潰せばいいかわからない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この導入、忙しさにかまけて更新を渋るための動線だったんだけど、責任の所在がはっきり見えたからやめるよ!

 

 

  

勢いというのは本当に怖い。

 

 

 

 

ジェットコースターに無賃乗車させられる感覚だ。

 

 

 

 

なぜ毎週更新を再開すると高らかに宣言したのか。

 

 

 

 

全て自分発信だから責めるのが自分しかいない状況がもっと怖い。

 

 

  

 

 

いや、実はこうやってブログを更新する時を楽しみに待っていた自分もいる。

 

 

 

それは前回のブログのアクセス数が予想以上に伸びたからだ。

 

 

 

嬉しいよ、僕は。

 

 

 

 

Don't cry anymoreだよ。 Miwaだよ。絶対聴いてね。

(脳内で芦田愛菜の真似をするやしろ優さんで再生してくれ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

よしここからが今回の本題だ。

 

 

 

 

みなさん「ふりふり症候群」ということ言葉を知っていますか?

 

 

 

 

初めて聞いた人が多い感じですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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あ、今僕が造った言葉です。

→後で「元からあった言葉です!」とか「私も以前から使ってました!」とかは無し。ただあたふたしてウィンドミルするだけしか出来ないから。

 

 

 

 

この言葉の意味を簡単に説明すると、

 

「行動の結果が自分に正しく還元されていない状態で、成果物などに関係なく、自身の成長に繋がっていないことを認識できていない状態」

 

 

 

上手く噛み砕けなかった人のために同じやつもう一回貼っておきます。

 

 

 

「行動の結果が自分に正しく還元されていない状態で、成果物などに関係なく、自身の成長に繋がっていないことを認識できていない状態」

 

 

 

究極のショートワードでいうと、「やったふり」とか「したふり」です。

 

 

 

あ〜〜あいつね!って今固有名詞が思い浮かんだ人もいることでしょう。

 

 

 

最近ふりふり症候群で被害を受けた人からすれば、腸は煮えくり返らないかもしれないけど、妙に親近感を覚えるワードではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分自身はどうですか?

 

 

相手がこの病状にかかっているかどうかは二の次で大丈夫です。

 

 

ご自身はどうですか?

 

 

 

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ちなみに僕はよくかかります。

 

僕の病状は与えられたものを何も考えず消費する症状です。

 

 

普段は意識しているのですが、何か連続して物事が雪崩がかってくるとただ淡々とこなすモードのスイッチが入ってしまいます。

 

 

 

 

この時は自分の成長に全然繋がってません。

 

マシーンやAIに任せた方が絶対生産性が高い上にローコストです。

 

 

 

 

ふりふり症候群の処方は単純ですが、自分の頭で考え、実行することです。

 

 

 

問題は何か、ゴールはどこか、そこに到達するまでのルートはどこにするか。

 

 

考え終わったら、やりましょう。

 

 

 

失敗上等。

 

 

 

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いい地図描けたぞ!俺すげえええええええええ!

 

 

ここまで来れたらあと一歩です。

 

酔いを少し冷ます必要があります。

 

 

 

作詞と作曲は別の作業ですし、実際の演奏もまた別の話です。

 

とにかくやりましょう。

 

  

例えば、

喫煙者は禁煙をゴールにしてみるとか。

(お酒好きの人は缶ビールを1日1本にしてみるとか。)

 

 

 

 

 

こういう「とにかくやってみる!」「結局早くやった者が勝つ!」的な書籍は書店に行けば選べないぐらいあるので、選ばなくていいです。

 

 

 

『自分の生活上で一番欠かせない行動を制御する』

 

 

 

 

これに頭を使って、制御できたら出版の準備に取り掛かりましょう。

 

 

 

 

 

それにしても最近本当にそういう類の書籍が増えたなって思います。

 

 

それだけ、迷える子羊が増えたんだろう。

 

 

 

ここに来れたんだから大丈夫。 

 

 

 

来週も来てね。

 

 

 

 

 

 

 

 

週刊 出鱈目日記 編集長

出鱈目 日記

「休学」という選択肢

 

大学4年間を振り返る時期。

 

 

ほとんどの大学生が4年間の過ごし方を後悔してると思う。

 

 

自分も然り。1、2年生の時期が本当に時間の使い方が下手だったなと。

 

 

「休学」ってどこか“悪者感”が強くて、結構忌み嫌われる言葉だよね。

 

 

「留年」と「休学」という2つの言葉ですら、意味の違いは認識していても、

 

どちらも大きなベン図で括ったら、同じカテゴリーに属す。

 

 

 

これは地方に特に根強い文化だと、僕は感じます(優劣の話とかではなくてね)。

 

 

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みなさま、お久しぶりです。

 

 

 

 

そして、大変長らくお待たせしました。

 

 

 

 

 

 

 

約5ヶ月、更新忘れてた。

 

 

 

 

 

 

 

 

週間でも習慣でも更新できなかった僕は本来は収監されるべきなのですが、

 

 

 

 

 

もう一度気持ちを新たに更新していこうと。

 

 

 

 

もう開き直っちゃおうと。

 

 

 

 

 

そう思ったのです。

 

 

 

 

しかも久しぶりにこのページを開いて見たらですね、なんと

 

 

 

 

 

週に15PVぐらい未だにあるんですよね、この日記。

 

 

 

 

 

 

以前Facebookに載っけたものを最近新しく友達になった方が見てくれた訳ではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いや、絶対そうだろ。

嬉しーーーーーーーーーです!!!!!

 

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誰も見てくれなきゃ、独り言。

 

 

 

 

 

 

見てくれてもコメントがなければそれも独り言。

 

 

 

 

 

 

 

いや、コメントは返すのが面倒だから僕には勿体無いので大丈夫です!!

 

 

 

 

 

 

ちょっと脱線しすぎたので、休学の話に戻しますよ。

 

 

 

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んんん!!画像のチョイス!!!!チョイスの画像!!!!!!!!

 

 

 

 

 

 

僕は4年間大学にしっかり籍を置いて通ってから、休学という選択をしました。

 

 

 

本当は3年生の時に休学をしようとしたんだけど、決断し切れなくて、

 

 

4年生の1年間こそ!と思ったんだけど、結局大学に籍は置いたままで、

 

 

 

ちょっとだけ就活して、あとは留学行ってって感じでほとんど大学には行かず。

 

 

 

 

両親にはだいぶ迷惑をかけ続けてます。

 

 

 

 

皆さんが表面上の就活解禁の幕が上がってドギマギしている時、

 

 

 

 

儚くも僕は休学届出の受理書が家に届きました(後で全部モザイクかけて載せます)。

 

 

 

 

18卒の皆さん、僕は就活を真面目にした方ではないので、就活のアドバイスはできません。

 

 

エンカレッジ新潟支部に飛び込んだ方がよっぽどマシです。

※あえてリンクは貼りません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おい!自分で絶対調べて探せよ!

 

 

 

 

就活って小さな行動の積み重ねだろ!!

 

 

 

 

おい!!!

 

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※貼りたい画像ランキング1位だったんだけど、貼るタイミング失ってHere。

 

 

 

 

 

 

 

まとめると、学生の特権を上手く使ってねってことでした。

 

 

 

 

迎合するな、超えてゆけ。

 

 

 

 

 

 

 

週刊 出鱈目日記  編集長

出鱈目 日記 

 

「日本地図」ではなく「世界地図」を見よう!

 

早くも「毎日更新」というYoutuberっぽいノルマを達成できなかった。。 

 

にしてもしくるの早ない? 

 

坊さんが厳しい修行に耐えられず3日ともなく逃げ出すならともかく、

夏休み真っ只中の大学生がその日を1000文字ぐらいで振り返ることすらできない。

 

全世界の僧侶及び寺院関係者に謝罪しておきたい。

自分の葬儀はめちゃくちゃお布施を包ませるようにしておきます。

 

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さて、日本の大学生にとって「留学」という選択肢は近年当たり前になってきたかと思います。

 

留学と言っても色々とありますね。

大きく分けると以下の7つぐらいかなと思います。

 

語学留学

(日本の大学生に圧倒的人気。24時間外国語のシャワーを浴びたい人が語学の習得を目的としていく留学)

 

ワーキングホリデー

(一生に一度、主に18-30歳(一部例外もあり)の若者に与えられるリーズナブルで長期滞在可能なビザ。期限があるから早めに準備!)

 

インターンシップ

(企業や団体で活動し、より現場感が知れる就業体験を目的とした留学)

 

専門スキルアップ留学

(語学以外にその土地その場所だから学べる分野を学ぶことを目的とした留学。ビジネスやITはもちろん、デザインやアート、ホテル経営など学べる分野は非常に多岐)

 

大学・大学院留学

(向こうの大学に入学し、アカデミックな教養から専門までを学ぶ)

 

海外ボランティア

(インターンシップよりもハードルが低く現地の人と交流ができる。語学留学+αって感じ?)

 

国内留学・山村留学

(留学と言っても国外だけでなく、国内でも学べることは多い。その土地に行って、その土地の人と一緒に仕事をして生活をして学ぶことが多い。ある意味エスノグラフィー的なものに近いのかな?)

 

 

この7つの中から自分の目的に合った選択肢を選ぶのですが、

初めてなので正直どれがいいのかわからないのが本音ですよね。。

 

ちなみに来週からフィリピンに行く私はここら辺をよく見てます!

フィリピン留学とか考えている人はもしよければ見てみてください!

2カ国留学の1つ目とかでもいいかもしれません。

ceburyugaku.jp

 

phil-portal.com

 

blog.nagocre.com

 

kyukatsu.com

 

自分の場合は語学留学+専門スキルアップ留学を組み合わせたようなものです。

内容としては語学+プラグラミングを学ぶエンジニア留学です。

 

 

調べてて思うのが日本は本当キャリアの選択肢が多い。

 

ちょっと前まで国内においての移動手段も歩くか馬みたいな感じで、

しかも通行手形で身分を証明しなきゃ入れない土地がめちゃくちゃ多かったのに、

今や飛行機で国外にガンガン行ける。

 

現世最高。現世万歳。

  

参勤交代してる最中の藩主にめっちゃ教えたい。

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個人的にグローバルな人材になりたいとずっと思ってて。

そのために市場価値の高い人間になる必要があるとも感じていて。

 

救える範囲を限定したくないってのが根底にあることに気づきました。

 

自分の身の回りにいる人だけを幸せにするのではなくて、

地元の新潟にいなくても困っている人だったら救いたいし、

力になれるのなら日本にいる人じゃなくていい。

 

 

英語が話せないから世界に挑戦できない。

能力が足りないから救いを求めてる人を救えない。

これが自分にとって一番歯痒いこと。

 

 

そんな時に本で若者のグローバル志向の底上げを目的にサムライバックパッカーをしている人の話を読んで、そこに書いてあった

 

自分の中の「日本地図」を「世界地図」に塗り替えること

 

という言葉が刺さりました。

 

「空はいつも繋がってる」なんて臭いセリフがありますが、日本も世界の一国に過ぎなかったと改めて感じました。

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海外に挑戦したいという気持ちがある方

海外で学びたいことがある方

日本だけでなく困っている人なら助けたいと感じている方

 

金なら後でなんとかなるけど、

時間はどうしようもならないよ。

 

早め早めのご準備を。では。

「満足度」の仕組みを考えてみた

※去年の9月頃の記事を掘り起こしました。内容が完全にタイムラグ。

 

今日はすごい嬉しいことがありました。

 

韓国に旅行に行った大学の友人とロシアへの語学留学を終えて帰ってきた大学の友人からプレゼントを貰ったんですよ〜。

 

子供の頃は自分で買うお金がなかったからプレゼントとか貰えるとめちゃくちゃ嬉しかった。

 

大人になるにつれて自分で色々と買えてしまうから、嬉しさも減ってしまうのかなと思ったけどむしろ昔よりも嬉しかったりする。

 

なんでだろう。

 

自分で普段買えない土地限定のものだったりするから?

 

普段買い物をしてても買わないものだから?

 

好きな人からもらえたものだから?

 

 

いや多分どれも違う。

この満足度の変数は期待値なのではないか。

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マーケティングの世界においても顧客満足という言葉があり、プロダクトやサービスにお金を投資した際のユーザーの満足度をハカっている。

 

顧客満足=実際に顧客が感じた価値+事前期待値

の計算式で表すことができる。

 

つまり子供の頃は期待値がめちゃくちゃ大きかったんだなーって。

その分感じる価値も高いから結果的に満足度も高くなっていたんだなーって。

 

ただ歳を重ねるにつれて自分でお金を稼げるようになって、自分で買えるものが増えた。

 

そうなると純粋にモノ自体から感じる価値自体はそれほどでも、プレゼントという行為自体が減ったから事前期待値が下がる。

 

結果的に満足度も上がるってわけだ。

 

 

こんな感じで満足度をハカってみたけど、自分はプレゼントという文化に浅かったので

普通に感じる価値がめちゃくちゃ高いです

 

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プレゼントもらった時の感情表現難しくて、

 

「お、マジ!?おーーありがとうーー!」

 

ぐらいしか言えないけど、すぐ誰かとこの気持ちを共有したくてSNSにアップします。

(現に日記には絶対書かないって言ってたのにこうやって書いてしまっている。。)

 

 

まあということで、最後に、

お世話になっている人がいて何か粋なプレゼントでもし日頃の感謝を伝えたい方、

彼氏彼女がいてプレゼントを贈る機会が比較的多そうな方、

何から何まで両親にお世話になりっぱなしの方など、

プレゼントを贈るタイミングがありそうな全人類へ一言送ります。

 

 

何でも嬉しいからそんなに悩まんといて。

 

 

(PCとスマホで見るとだいぶ比率が違って見にくいんだなコレ。) 

アンジャッシュについて熱く語ってみた

アンジャッシュのコントって面白いよね。

好き嫌いはあると思うけど俺は結構好き。

 

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アンジャッシュの笑いは演者と観客が見てる世界が絶妙にズレて発生してる。

現象自体は一緒なんだけど、演者から見えている世界と観客が見えている世界が違っていて、あくまでこちらだけが全体の仕組みを知っているところに笑いがある。

こっちが優位な立場にいることでお客さんが「私だけが真実を知っている」と認識し、

流れの中で問題が起きそうになるとついつい(何も知らないと装っている)演者に「違う!」って声をかけたくなる。

表現の技術に感心させられる。お笑い勉強する人はまず渡部さんの料理本買ってお笑い勉強した方がいい。

  

そんな話もどうでもよくてですね。

本題は文章力のリハビリについてです。

大学生になって抽象的な表現が少しづつ嫌いになってきました。

「強い」「少ない」「成功」「幸せ」

こういった言葉を聞くと、

強いって絶対的な強さ、それとも相対的な強さ?そもそも強さってどの物差しで計ったものをいうの?

少ないって何g?何個?具体的にどれぐらい少ないの?

何をもってして成功?幸せってどんなゴールをイメージしてる?

こんな感じに考えてしまいます。

こうやって文字で起こしてみると最悪ですね。即ブロック。

 

こういう抽象度を嫌って具体的な数字に落として物事の相関関係や因果関係を見ることは非常に大事なことですが、その反面

面白い文章が全然書けなくなった残念さもあります。

 

これ本当に。面白い文章書いてる途中に面白いって何かを具体化しようとするんです。

個人的には面白いってもっと言葉に表現できない一種の芸術的なメカニズムが多分に含まれていると思うんですよ。

言語化できない面白さってありません?

友達と話してて「いやwwwwwなんかwwwwあれおかしくない?wwwwww」みたいな。

アンジャッシュのような作り込まれたお笑いもありますが、あれは特例中の特例です。

大半は"よくわかんない"から面白いのです。

  

子供から大人になるってこういう板挟みに沢山あってしまうということなのかな。